起業塾で学んだこと(前段階)
2015年に2社目に転職した。
この当時、苫米地英人先生の本を読むことにはまっていた。
1社目での会社員生活が自分にとって辛く、どうしたらよいか途方に暮れていた。
相談できる友達や仲間が自分にはいなかったから、自己啓発本にたよることになった。
苫米地英人先生の本は、苦しむサラリーマンに向けた本が多く、魅力的であった。
この先生の主張の1つを、語弊を恐れずにまとめると「他人の指示で動くサラリーマンはやめて、自分の自己実現の図れる起業をしなさい」というものだと考えている。
また、嫌な仕事はやめなさい、have toではなくwant toという主張、次を決めずに仕事を辞めなさいという主張が本に書かれてあった。
あまりに1社目で働くのが嫌であったから、この主張のとおり、次を決めずに、2015年8月に会社を退職した。
8月のお盆前が最終出勤日。
その後から、転職エージェントに登録して、転職活動を開始する。
転職エージェントから、退職理由を聞かれる。
あまり言いたくなかったが「直属の上司からパワハラがあり、ウマが合わなかった」と正直に答えた。
転職エージェントからは、あまりいい顔はされなかった。
また、1社目を2年3か月で退職しているのも問題視された。
この当時はまだ若く知らなかったのであるが、転職市場において、人間関係の退職、3年未満の短期退職は、著しく忌避される退職理由なのだ。
日本の雇用環境においては、人間関係で多少嫌なことがあっても我慢すべしということと、1つの会社に定年までとはいかなくともある程度長く勤めるべしという理念が根強く残っているのだ。
私の学歴はよかったので、書類選考の通過率は高かった。
しかし、面接で通らなかった。
間接部門で働いていたこともあり、面接が得意でないことと、退職理由で引っかかっていたのだと今では分析している。
正直、転職して何がしたいのかという明確な希望はなかった。ただ単に、1社目の環境から逃れたいという思いだけだったのだ。
その当時貯金が120万円しかなく、退職後の転職活動であったため、貯金がどんどん減っていった。
面接に行くときの自宅から応募先企業までの交通費が貯金を減らしていく。
この時点で私の意識は、お金がなくなるし、とにかく就職したい、この1点だった。
転職エージェント経由の応募では受からないため、自己応募に切り替える。
この時点で、大手企業ではなく、中小企業も含めた応募活動になる。
とにかく辛かった。自分の所属先もないし、貯金もどんどん減っていく。誰も友達もいない。孤独な闘いで、面接に行けば、自分が犯罪者のように取り調べを受けるような感覚になるのだ。精神的に耐えられなかった。
結局、50名程度の中小企業から内定を頂き、入社。この会社しか内定をもらえなかったのだ。
この会社で働きたいという意欲はなく、ただ、どこでもよいからお金がないから働きたいという思いのみであった。
こんなに社会が厳しいと初めて知った。
このような感情は2度と味わいたくない。今までの人生で一番つらい体験だった。
もう2度と、転職面接をしたくない。
いまでも、退職理由はどのように答えればよかったのか?といつも疑問に思っている。
この当時の自分は、特にWant toがなかったので、1社目と同じ職種の仕事に2社目も就職するという、現状維持を選択するしか余地がなかったのだ。
この時の体験は今でもトラウマだ。
日本の雇用関係の閉鎖性の絶望感、減り続ける貯金残高がこれほどまでに自分の精神を衰弱させるのかということ、面接で自分のことを疑われてあたかも犯罪者のように取り調べを受ける感覚が自信を失わせること、不採用通知か自分人格否定と錯覚してしまう感覚など…二度と味わいたくない。
こんな思いをするのであれば、自分で起業したほうが良いのではないか。
この出来事以来、自分の頭のなかに、常に「起業」というワードが浮かんでくるようになった。